「ウルトラマン」最終回に思うこと
最近、初代ウルトラマンの最終回を見る機会があったので思ったことを書きます。
ウルトラマン最終回といえばもはや語る必要もないほど有名です。
そのゼットンを人間の手で倒し、
人間の手で平和を掴み取る。
もちろん最終回で急に負けたとか、ずっと無敵だったわけではありません。
「小さな英雄」では、今までウルトラマンだけで勝ってきたわけではなく何度も助けられ、科特隊が倒した怪獣も沢山いると言及されます。
「宇宙船救助命令」ではスペシウム光線も八つ裂き光輪も効かない怪獣キーラが現れる。
最終回でウルトラマンが敗れ、科特隊が勝利する伏線は十分に貼られていたと言えます。
さて、初代で既に
「平和とは与えられるものでなく、人間の手で掴み取らなければならない」
と結論を出したウルトラマンですが、久しぶりに最終回を見た感想は少し違うものでした。
まず思ったのは、ゼットンを倒すのにペンシル爆弾というポッと出の兵器で勝つのはどうなの?ということです。
そもそもウルトラマンは、少なくとも最終回では、理詰めの展開でした。
隊員達がいくら応援しても、ウルトラマンを圧倒するゼットンに為すすべなくやられてしまいます。
みんなに応援されたから限界を超える力を出す奇跡なんてものはありません。
ただこれは悪いことではなく、奇跡に頼らず人の実力でウルトラマンをを倒す、ということに繋がる必要な描写です。
そして理詰めで言えば、マルス133を始めとする今までの兵器では間違いなく倒せなかったため、「ゼットンを倒せる新兵器」の登場はなんら間違っていません。
間違ってはいませんが、僕が最近ヒーロー観を強く持っていることもあり、前に見た時より物足りなかったのは事実です。
それとは逆に、前に見た時よりグッとくるシーンもありました。
ゾフィーとの会話シーンです。
ゾフィーは「もう充分人のために戦った。一緒に帰ろう」と呼びかけますが、ウルトラマンは「ハヤタを死なせたくないし、地球が好きになった」と拒みます。
先ほども言った通り、ウルトラマンの技が通用しない怪獣はゼットンより前から現れていて、そんな怪獣すら人は自力で倒せるようになりました。
もはやウルトラマンが守る必要はなく、言い方は悪いですが役立たずになってしまうかもしれません。それでも残りたかったのは完全にウルトラマンのワガママです。
弱い者を助けたいという善意ではなく、
「地球が好きだから」残りたい。
彼は神ではなく、好きだからいたいんだと思っていた1人の宇宙人なのです。
思えば「バラージの青い石」に、ウルトラマンをノアの神と崇拝する集団が出てきました。
この人達とムラマツ隊長との会話はどこかズレていて、逆説的にウルトラマンを神と捉える危うさ、みたいなものが描かれていたのかなあと思ったりします。
それを考えれば、ウルトラマンはやはり神ではなく、ただ地球と人が好きなだけの宇宙人なのです。
そんなウルトラマンがとても身近に感じられ、前よりもこの回が好きになりました。
そして、地球はウルトラマンに愛されていたのだという事実が、僕はとても嬉しかった。