『怪獣は何故現れるのか』が嫌いな理由

最近、配信でウルトラマンマックス第29話『怪獣は何故現れるのか』見返したので感想を書きます。

 

タイトル通り僕はこの回が嫌いです。

最初に言っておくと、これから滅茶苦茶叩きますがご意見・ご感想を受け付ける気は一切ございません。あんなのを擁護する人間は人間とすら思っていないので聞くだけ時間の無駄だと思っています。

嫌なら書くなって意見もあるでしょう。マジでしょうもない回だと思ってるし俺も本当なら書きたくなんてないんだけど、質問箱とかリプで余りにも何でですか?って聞かれてそウザいので書きます。

 

 

①あの3人出してやるの、これ?w

色々言いたいことはあるけどこれが全て。ここだけ読んでくれたら後は読まなくていい。あの3人を出してやるのがこれですか?

ゲストの佐原健二さん、西城康彦さん、桜井浩子さんといえば知らない人は居ないと思うがウルトラQのメインキャストの3人である。ニュージェネウルトラ俳優みたいな呼べば来るような若くて暇な人達とは違って、当時もかなりご高齢だったので正直これが映像作品で3人揃う最後のチャンスっだったと思う。従ってこの回は実質ウルトラQのオマージュ回になる"はずだった"

だからこそ、ガチのレジェンドキャストを出して蓋を開けたら「過去作は劇中劇です」は正気を疑った。佐原健二さんのことは大好きだけど、佐原健二役で出る佐原健二さんを見たい人なんてこの世界で小中千昭しか居ないだろ。俺がウルトラQが好きとかメタネタが嫌いとか、そういう話を置いといたとしてもキャストにもファンにも不誠実と言わざるを得ない。職業がSF作家だったりレストランで働いていたりクソ適当なオマージュをしていることだけは伝わるが、それは淳ちゃんや一平君で見たかったし、彼らの設定のはずなのでそれも酒落臭く感じてしまう。僕はQが大好きなので当然嫌いだし、「Qは好きだしこの回も好きだけどな~」みたいな人間はQのこと好きじゃないので二度と自称するのはやめてください。

過去作のキャストが登場した回を叩くと「出てくれたからありがとうだろ理論」を持ち出す奴が昔からいる。俺はこの理論がクソより嫌いだ。リスペクトが一切感じられない回を叩くことがどうしてキャストを叩いていることになるのか全く理解できない。寧ろキャストを叩き棒にして批判勢を攻撃するゴミみたいな奴らより俺の方がキャストに寄り添っている意見だろう。

『怪獣は何故現れるのか』は大嫌いだが佐原さん達のことは大好きだし、寧ろ出てくれたのにこんな扱い・あんな話で申し訳ないとすら思う。「出てくれてありがとう」より先に「こんなのに出してごめんなさい」だろ。悪いことしたら謝れって親から教わらなかったのか?僕が全ウルトラQファンを代表して謝らせていただきます。

本当に申し訳ありませんでした。

 

 

②出てくる怪獣、これ?w

残念ながら酷いのはメタ要素だけではなく、怪獣もまあ酷い。

今回登場する怪獣の名は「牛鬼怪獣ゲロンガ」。

元々はパゴスを出す予定だったがパゴス→ネロンガ→ゲロンガという変遷を得て決まったらしい。で、まず言いたいのがゲロンガって誰。バラゴンボディだからパゴスをネロンガにしましたって部分から全く意味が分からないんだけど、更にそこからネロンガになったのは本当に謎。普通にネロンガで良いだろ。まあ理由はわからんでもない。ゲロンガって名前が似た没怪獣がいるから、そういうイキりを優先してしまったんだろう。

ただ残念ながら本質はそこではない。正直出てくるのがネロンガだろうがゲロンガだろうがどっちでも良い。何故ならどっちだろうが納得できないから。この話で一番恐ろしいのは、この回に本当はパゴスを出そうとしていたことだ。怪獣が選ばれたのが先か、脚本原案が出来上がったのが先か、それは分からない。だがもし今回のような話が先に出来上がっていて、そこにパゴスを出そうとしていたとすれば余りにも浅はかと言う他ない。

上述した通りこの世界でウルトラQは劇中劇だ。怪獣なんていなかったはずなのに実は本当にいたってネタをやりたかったんだろう。僕はガンジーなのでクソつまらないこの話への怒りを5億歩譲って一旦抑えるとするが、だとしても「ウルトラQは嘘でした、でもパゴスは本当にいました」なんて話は完全に破綻している。もしかしたらそういう配慮で没怪獣のゲロンガにしたのかもしれないが、そんな配慮が出来るならそもそもこんな回を作らないので違うだろう。

件のゲロンガの扱いも同情を禁じ得ない。

こいつは無様にも涙を流して倒されずにどこかに連れていかれる。怪獣の自覚ありますか?俺が怪獣なら街を一通りぶっ壊しまわった後にマクシウムカノンに喜んでこの身を差し出そう。破壊と破滅こそが怪獣の本懐だ。もしかしたらゲロンガ君もそれを望んでいたかもしれない。それが果たされなかったのは、偏に円谷に蔓延した「Qっぽさ」みたいなもののせいだろう。

最近ウルトラマンタイガでもパゴスで全く同じことがあった。パゴスはQには珍しい爆発して倒される怪獣なので、パゴスとパゴスを基にしたゲロンガが泣いて爆発しないのは解釈違いも甚だしい。これは考察なのだが、円谷は何者かに「Qの怪獣は爆発しない」「ウルトラマンと戦うと痛くて泣く」などと思い込む認識阻害の呪いがかけられ、残念ながら10年以上解けていなかったのだろう。もしこれが呪いの力でなければ円谷全員障害者ということになるので、俺は人の善性を信じる。死ね。

 

 

③メタ

上でチラッと行ったけど俺はそもそもメタが嫌いだ。だからこの回への怒りは200%なのだが、マハートマーの精神でメタが嫌いな自分の心を抑え、とりあえず100%の怒りで話そうと思う。

まず何が気に入らないって佐原さん達とパゴスオマージュ怪獣を出してQっぽくないといけない話をメタにしたという事実。円谷は、Qの怪獣は爆発しないしQならメタをしてもいいと思ってるらしい。円谷に呪いをかけた人間がいるのであれば僕に人を呪い殺す方法を教えてほしい。死ね

メタが嫌いな俺にも好きなメタはある。『仮面ライダー龍騎』は逆説をもって仮面ライダーの正義を証明した。『コンクリート・レボルティオ ~超人幻想~』は空想を嗤う者に巍然として対抗した。メタは作者の思想を垂れ流す非常にくだらない行為だが、垂れ流す思想が面白ければ俺は許す。

それで肝心な今回の話のメタの内容だが「人々が望んだから怪獣が生まれた」というもの。なんとここまで人類の平和が脅かされていたのは人類自身のせいだった。第1話からナレーションで「空想の産物であった怪獣が世界各地で確認されるようになった」とちゃんと言っているので、エモすぎる伏線回収だ。アレ比喩表現じゃなかったの草。ダンバインのパクリ。

結局ここまでマックスで描かれてきた人類の文明批判って思想をもっと強めたようなものなので臭過ぎる。というか終末論()が流行った時ならともかく2006年にこの思想で恥ずかしくないのかな。前作のウルトラマンネクサスでは人が絶望だけでなく希望を抱いていたし、10年前のウルトラマンティガ第49話『ウルトラの星』でもみんなに望まれたからウルトラマンが生まれたというこの手のメタの答えを出している。

マックスもせめて人々が望んだのは怪獣だけでなかったみたいな感じだったら良かった。俺は怪獣を望んだ者なので代表して言わせてもらうが、俺が夢想するのは街を破壊し森を燃やして回る怪獣だけでなくそれを対処するヒーローの存在だ。そしてこれは決して怪獣をヒーローの噛ませにするということではない。無論逆でもない。人類文明を超越して大暴れする怪獣、叡智を結集して立ち向かう人類、そしてついに討伐される怪獣。どちらが欠けても成り立たない。怪獣の死をもって完成するこの図式こそが"怪獣を望む者"の夢だ。怪獣だけを望むなんてあり得ない。

怪獣が泣くし爆発もしない、何より万城目淳というヒーローを欠いたこの回は、怪獣を望んだ人々というクソつまらんネタすら満足に描けなかった最低の回だ。

 

 

 

最後に、ここまで見てくれた人がいるか分からないが伝えたいことがある。

 

最近「白黒だったQに虹がかかり七色になった」みたいなやつを見た。

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まるでウルトラQに"色がない"ような書き方だが、これは完全に誤りだ。

 

何故なら、空想の心を忘れなければウルトラQはいつだって色鮮やかなのだから。