今更シン・ウルトラマン感想

先日、シン・ウルトラマンの感想をブログに書いてみてはという言葉をいただいた。

こういう時しかブログの更新をしないだろうということで、遅ればせ僕も映画についての感想を書いてみたいと思う。

とは言うものの公開から既に公開から一月が経とうとしているシン・ウルトラマン

既に様々な感想が出尽くし、僕の感想なんぞその中の1つに過ぎないだろう。

ということで、出来るだけ「自分だけの感想」という物に比重を置き、これは色んな人が言っているだろうというものは省いて書いていこうと思う。

 

 

1.よくぞ詰め込んだ

ウルトラマンの1番の魅力とはなんだろう。僕は話のバリエーションの豊富さだと思う。

怪獣が出てくる回、宇宙人が出てくる回、科特隊がウルトラマンを助ける回、メッセージ性の強い回、救われない回、エンタメに徹する回、全39話の中で手を変え品を変え、実に様々な話が描かれる。

そしてこれらの話が1話完結の面白い話で終わらず、少しづつ繋がりを持って終盤に繋がるという、所謂縦軸の要素も兼ね備えている。

さて、シン・ウルトラマンではそこら辺が実に上手く再現されていた。

今作は5部構成とも言えるもので、5つの話は全て繋がっているのだが、しかし個々の話としても見れるように構成されている。

庵野秀明のシン・シリーズでは元となる作品のテーマを尊重し、そのテーマがさらに分かりやすくなるように再構成されている。シンエヴァンゲリオンでやっていたことはまごころを君にと同じだし、シンゴジラは非常に基本に忠実なゴジラであった。

そしてその作品を裏切らないという姿勢は、僕の好きな部分でもあり、今作でも遺憾なく発揮された。

時間的な制約があった中でよくぞ3体の怪獣と2体の宇宙人扱ってくれた。

本編を見る前はもっと本筋ガッツリで怪獣はダイジェストのように倒すと思っていたので、怪獣を倒すまでの過程を懇切丁寧に描いてくれ、いい意味で裏切ってくれたことに感謝しかない。

 

 

2.そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン

公開前から公開されていた言葉で、元のセリフの「地球人」と言う部分が「人間」に変わっていることについて、様々な議論がされていたように思う。

僕も何故なんだろうと思っていたが、本編を見て腑に落ちた。そういう人は多いんじゃなかろうか。

まず、「地球人」という呼び方は宇宙人目線な呼び方だと思う。

これを言っているゾフィーは宇宙人なのだし間違いはないのだが、それは今作のゾーフィも同じことである。なのに今作で「人間」という呼び方に変わったというのは、ウルトラマンとシン・ウルトラマンの性質の違いが出ているように思う。

地球人というのは、例えば宇宙にいる人(知的生物)の事を宇宙人と呼ぶように、地球にいる知的生物ということである。

対して人間というのは、当然我々人間のことを指す。

地球に住む生物としての地球人と、ホモサピエンスという一つの種を指しての人間、この絶妙なニュアンスの違いがシン・ウルトラマンの本題であると僕は思う。

思えば今作で狙われていたのはいつも人間であった。

危険な因子として、利用価値のある兵器として、「ホモサピエンス」がいつも標的だった。ゼットンによって地球抹消の危機に瀕するが、それも人間を抹消しようとしてのものだった。

地球と怪獣・宇宙人ではなく、もっと狭く、人間と怪獣・宇宙人の話だった。

これはウルトラマンと人間の関係に直結する。

人間よりも遥かに進んだ文明を持ち、遥かに長い寿命を持つウルトラマン。しかし人間と同じく命を持った生物だとウルトラマンは断言する。

今作では人間にとってのウルトラマン、そしてウルトラマンにとっての人間という両者の関係性が強調されていたように思う。

先程、シン・シリーズは原典とほぼ同じという事を言ったが、人間の命に向き合うというのはウルトラマンには無かった、正しくシン・ウルトラマンだけの要素であろう。

ウルトラマンは地球に住む知的生物ではなく、弱く儚い命を愛した。

だからこそ地球人ではなく人間でなければならなかったのだ。

 

3.ウルトラマンは死んだのか

今作で明確に答えが出ていない部分が1つある。

ウルトラマンと神永新二はどうなったのか、という部分だ。

ここはそれぞれの解釈で見てくださいという物だし、ここだけは僕も自分の考えを言わなければならない。

まず神永新二についてだが、僕は記憶は残ってるんじゃないかと思っている。

元のウルトラマンでは、ハヤタはウルトラマンと分離した後、全ての出来事を覚えていなかった。

ここも解釈の別れる所だと思うが、これは覚えていなかったのではなく、そもそも経験していなかった=1話以降のハヤタは全てウルトラマンだった、いうのが個人的な解釈だ。

これが最終回で明かされ、「ぞれじゃああの時のハヤタもこの時のハヤタもウルトラマン本人だったのか」と分かるオチが用意されていた。

対して、今作では早々と神永の正体がウルトラマンだと明かされる。神永の言動=ウルトラマンの言動ということが分かっているので、逆転のオチを用意する理由が無いのだ。

と、ここまでは作劇的な根拠を挙げたが、他にも理由はある。それはウルトラマンがどうなったかにも関係する。

僕は、ウルトラマンはあのまま死んだと思っている。

理由は単純で、ゾーフィが命を持ってきていないからだ。

それに、類のために命を懸けてゼットンに挑み、折角生き残った命を神永に挙げてほしいと言ったウルトラマンの覚悟にゾーフィは頷いた。

命にシビアに向き合った今作ならば、彼の命はやはり神永の物となったのだろうと思う。

ここからは妄想なのだが、その時、自分の記憶を神永に託したのではないだろうか。

USBを人類の希望として託したように、自分が共に戦った記憶を、人類の全てに期待して神永に託したのだと、僕はそう思いたい。